personz その2

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説明

先のページ で personz について個人的なコメントを書いた後、 personz の公式ページに対してリンク許可を求めました。 すると JILL さん本人から返事がきて、リンクの許可をいただくと同時に、 「これからも書き続けて欲しい。ぜひライブにきて欲しい。」 と言われました。 本人から頼まれれば、応えないわけにはいきません。 1月25日の渋谷クラブクアトロのライブを見に行きました。 以下、その感想です。

実はクラブクアトロも personz の生演奏も初めてだったのですが、 全く異和感なくステージと同化することができました。 今まで私が体験したコンサートの中には、 会場をダンスステージにしようと無理に盛りあげたり、 プログラムを消化することに集中するアーティストがいたりして、 覚めた目で眺めたことが何度となくありました。 でも personz は違いました。 熱すぎず、冷たすぎず、何も強制しないけど、 自然にステージと会場が一体化しています。 これは、ライブの理想形ではないでしょうか。

演奏を楽しみながら、 なぜこんなに自然に一体化してしまうのか考えました。 そして、気づいたのです。 personz のメンバーは、何かのためにロックを演奏しているのではなくて、 ロックを演奏する事自体が彼らの生活なのだと。 生活費のため、タレント活動を続けるため、社会にメッセージを発信するため、 演奏テクニックを自慢するため、そういった目的が先立つのではなくて、 ロックを演奏し続けることが彼らの生活そのものなのです。 ロックが好きだから演奏するという次元でもなく、 もう生きることとロックを演奏することが一体化してしまっているのです。 誤解して欲しくないですが、 彼らの歌にメッセージが無いと言っているわけではありません。 メッセージを伝える手段として歌を選ぶという発想ではなく、 歌と共に生きるものとして、作曲時の想いがメッセージとしてあふれ出してくる。 そんな人たちなんです。 もしかしたら私が言っていることは、 この人達から音楽をとってしまったら何も残らないという意味の とても失礼なことかもしれません。 でも、そのくらい personz の演奏には存在感があるのです。

JILL さんのメールに「ライブに来てください。」 とあったのも良くわかります。 personz にとって 歌 = 生活 であるならば、 ライブは彼らにとっての生活の場であり、 観客とのやりとりは日常のコミュニケーション(井戸端会議)に 相当するのではないでしょうか。 そのライブに参加したわたしたちも、 ロックを呼吸することで一時的にでもロックと一体化できた。 そんな気がします。 ライブが生活の場だとしたら、CD は何でしょうか。 それはきっと、 わたしたちファンと personz が同じ時代を共に生きた証としての 記念写真だと思います。 記念写真にも personz の魅力は沢山つまっていますし、 次世代に残すこともできます。 でも、personz と同時代を生きているわたしたちは、 ライブでコミュニケーションしなければもったいない。 そう想ったライブの夜でした。


2002年1月26日 記


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