PDCAに対する誤解

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要旨

PDCAに対する誤解から、PDCAの考え方を拒否する人がいます。 ネットで典型的な誤解を Yahooのトップニュースからのリンク に発見したので、コメントしておきます。

2017年6月8日追記

もうひとつ Yahooのトップニュースからのふたつ目のリンク を見つけてしまったので追記します。

PDCAって何?

Wikipediaにも丁寧な説明がありますが、簡単に書いておきます。

仕事を進めるときにその手順を以下の4段階に分けます。

Act段階が終わったら、先頭のPlanにもどります。

それぞれの段階を、webmasterが意訳してみます。

機械の動作で言うとNFB(Negative Feed Back)です。 NFBという単語は難しく聴こえますけど、人間も日常生活で行っていることです。

自転車や自動車を運転していて、ゆっくり走っている時にカーブを曲がり損なう人はいませんよね。 道路のカーブはそれぞれ半径が違いますが、 なれない自動車を運転していても、カーブの曲がり方で迷う人はいません。 なぜなら、『試しにハンドルをきってみて、車両の曲がり方が期待通りでなければハンドルの操作を調整する』からです。 これも立派なNFBでありPDCAサイクルです。

第1の誤解

リンク Yahooのトップニュースからのリンク に書かれていることには、大きな勘違いがあります。

PDCAの4段階を、それぞれ別人が実行すると思い込んでいるところです。 過去を反省して軌道修正するのだから、同じ人が全部担当しないと意味がないのです。

もしもの話ですが、 計画するのは偉い人で、実行するのは平社員で、反省点をみつけるのは専門の部所で、軌道修正も別部署に任せれば、お互いの責任の押し付け合いが発生するだけで何も解決しません。 縦割り組織の好きな日本人がやりそうな失敗ですが、PDCAの本質を理解していないとしか思えません。

誤解の生まれる土壌

リンク先の記述にあるように『PDCAが宗教となっている』のであれば、本質を見失った勘違いが蔓延することもあるかもしれません。

『インドにいた哲学者がインナー・スペースに深く潜って世界のあり方について考察した内容』を弟子たちが伝えているうちに、極楽往生のための説教に変わってしまうようなものですね。

あるいは、『資本家、経営者は労働者の全ての労働に応える責任がある』と言いたかったのに表現に失敗した経済学者の主張を悪用して、『共産主義』という搾取のメカニズムを作ってしまったようなものでしょうか。

日本人って、形だけ真似して本質を見失うのが得意ですね。 「仏作って魂入れず」の状況です。

リストラだって、語源はrestructuring(再構築)です。 欧米では、企業がリストラで非採算部門を切り捨てた後は、浮いた金で将来伸びる分野のベンチャー会社を買収します。 日本では、『金が浮いた』ことに舞い上がって、株式か不動産に変えておしまいですね。単なる切り捨てを繰り返していれば、会社の将来の儲けをドブにすてているのと一緒です。

同情できる点もあって、日本では『将来伸びそうなベンチャー会社』は滅多に見つかりません。 なぜなら将来伸びそうな分野には、資本家がお金を出さないからです。 日本で高額出資できる組織といえば、都市銀行か行政です。 どちらの出資担当職員も、『将来伸びる分野に金を出す』ことに興味を持っていません。 『確実な見返りが見込める分野に出資して実績を上げ、自分の出世に利用しよう』と考えているからです。 政治、行政、資本、経営が手を組んで日本の未来につながる芽を積極的に摘みとっているのですが、これでよいのでしょうか?

第2の誤解

リンク先には、もうひとつ誤解があります。 「Plan時に、将来起こる全ての状況を想定できないので意味がない」というものです。 Checkは、『Planが間違っていなかったか』という後知恵での責任追及の場ではなく、『今のプロジェクトが進んでいる方向は正しいのか』という評価をする場なので、『想定できなかった状況』にも対処できます。 ついでに言うと、『初期設定の方向付けは今でも正しいのか?』というメタレベルの評価をしても良いのです。

「全ての状況を想定できないならば、計画そのものに意味がない」と切り捨てるのは勝手ですが、基本計画も作らないで現場の意思統一もはかれずになんとなく仕事をしていて会社が儲かったのは、バブルまでです。 『計画時に想定できなかった変化』に対して上司へ進言しても責任逃れでアクションを取らない時に、現場の判断で対応すると「勝手なことをするな!」と怒られるような組織はつぶれてください。

リンク先の文章は、

と結論づけていますが、『計画時に想定できなかった変化』にすら対応できるように軌道修正を常時かけつつ計画を練り直すことこそが、PDCAの本質です。

自動車のハンドルの例で説明すると、以下に示す(どこかで見たような)状況です。

ピンクと黒、2台の自動車のカーチェイスを、改造したFiat500で追いかけている。 道路は湖畔崖っぷちのくねくね道。 ようやく追いついたと思ったら、先行2台の間に割って入るように対向のバスがあらわれたので、とっさにハンドルをきった。

2017年6月8日追記 今度はCAPDだって

ふたつ目のリンクについてのコメントです。 今度は、サイクルの順番を入れ替えてCAPDだそうです。

PDCAがNFBだとすると、CAPDはフィードフォワード(Feed Forward)です。 何かを試してからその結果を見て軌道修正するのではなく、先に修正量を見積もって行動する話です。 厳密に解釈すると、1回めのC(反省)にはP(計画)も含んでいるようです。

自動車のハンドルの例で行くと、プロレーサーのハンドルさばきに相当します。 「フォーミュラカーでレースに出場している。1周めは150Rを200km/hで曲がる時のハンドルの切り角はこのくらいだった。もう50周走り続けて路面にはタイヤラバーも乗っているし、自車のタイヤもすり減ってきたから、このくらい舵角を調整しておこう。」 という具合です。

フィードフォワードが理想的に働いて、CAPDサイクルが1回で終わるのならば、PDCAサイクルよりも確かに早く結果が出ます。 反省と軌道修正が必ず1回必要になると仮定すると、CAPDは最短1サイクルで終わりますが、PDCAサイクルは最短で1.5サイクル(PDCAPD)が必要になるからです。

ただしCAPDサイクルが1回で終わる保証はあるのでしょうか。 修正量を事前に見積もるために実行前に結果が予測できる必要がありますが、最初のリンクの記事では「計画と結果のずれが事前に予測できない」と主張しています。 対象分野によっては高精度の予測ができるのかもしれませんが、webmasterが仕事しているようなエンジニアリングの世界では、数カ月後にライバルがどんな新技術を披露するのか予測は困難です。

CAPDサイクルが1回で終わらなかった場合、PDCAサイクルの手前に0.5サイクル足しただけになります。 2回目以降のCとAは結局フィードバックになってしまうので、順番を入れ替えたメリットは薄れてしまいます。

2018年2月24日追記 今度はOODAだって

米海兵隊が"PDCA"より"OODA"を使うワケ

という記事を見つけました。 興味深く読みましたが、一件だけ異議を唱えます。

「 ただ、PDCAサイクルの問題点は、計画の前段階として観察(O)と情勢判断(O)にあたる部分がないことだ。つまり、計画を生み出すプロセスが入っていない。それは、PDCAサイクルがトップダウン型の消耗戦に適応した効率追求モデルであるからだ。」と記事にありましたが、webmasterの意見は違います。 PDCAは、牧歌的な20世紀の判断に使うために生み出された手法論であって、21世紀の今日のように一日のうちに何度も計画を変更しなければならないような状況を想定していません。 日本人の大好きな満場一致を待って、次のステップに進めることもできます。

OODAは海兵隊の手法論だけあって、状況の変化に即座に対応でき、判断は一人で下し、一人で行動します。 各人の判断と行動を組み合わせて、組織全体が動きます。

OODAを日本の職場に持ち込もうとするならば、以下のような日本式弊害を取り払う必要があります。

日本のムラ文化にはなじまない方式ですね。

2019年2月25日追記 またPDCAに対する誤解

PDCAがAI時代では「オワコン」な根本理由

という記事を見つけました。

Webmasterは、「PDCA=NFB」という意見を持っていますので、「NFBが働く場面ではPDCAがオワコンになるはずがない」と考えています。

「PDCAサイクルが機能するのは、計画立案者が必要な情報を持っている場合、すなわち、不確実性が低い定型的業務に限定されます。」と書かれていますが、これは誤解です。 Planが不確実でも、状況が変化しても、柔軟に対処するためのフィードバックとしてCheckとActが用意されているのです。 そして軌道修正した後で、またPlanに戻って最初のPlanをアップデートするのです。 「計画立案者が必要な情報を持っている場合」にしか上手く行かないのは、ウォーターフォール・モデルによるシステム開発です。

このコラムを読んでも、「PDCA=NFB」と考えているwebmasterには、「PDCAがオワコン」という筆者の根拠が伝わってきませんでした。 筆者はAIとかOODAとか流行り言葉を持ち出していますが、流行語で読者を煙にまこうとしているようにしか見えません。 もともとPDCAのPlanは、OODAの「観察」と「情勢判断」をPlanに含んでいたのではないでしょうか。 場繋ぎのコラムで原稿料を稼ぐには、無理筋の屁理屈を唱える必要があるのかもしれません。

2019年3月15日追記 またPDCAに対する誤解

PDCAより「OODA」が日本で導入しやすい理由

という記事を見つけました。

宮本武蔵が奇襲をかけたエピソードを二つ紹介して、OODAの方がPDCAよりも良いと結論づけています。 この論理には大きな誤解があります。 宮本武蔵の奇襲は、相手が同じ人間だからできたことです。

人間相手の奇襲と同じ戦術は、パイのサイズが変わらない時にマーケットシェアを高めるためには一瞬有効かもしれません。 しかし、現在求められているような技術のブレークスルーやイノベーションをもたらすには、奇襲戦法ではなく泥臭い地道な努力と状況を読んだ方針転換が必要なのです。 奇襲戦法に習って労働の統計情報を書き換えてしまった官僚は、いまマスコミの集中砲火を浴びています。 PDCAよりもOODAが日本で導入しやすかったとしても、成果は出せません。

2020年4月21日追記 またまたPDCAに対する誤解

PDCAが元凶!コロナ禍では現場最重視しかない

という記事を見つけました。

引用します。 『現場を混乱させる原因として、神戸大学大学院の原田勉教授は、「まず計画を立てるPDCAの考え方に固執しているため」と指摘します。』

どうやら「PDCAでは計画を立てるのに時間をとられすぎている」と言いたいようです。 別にPDCAのPlanに時間をかける必要はありません。 とりあえず方針を決めて走り出して、問題があればCheckしてActで軌道修正すればいいだけの話です。

PDCAのPに時間をとられすぎだったら、OODAでもObserveに時間をとられてうまくいきません。 「PDCAのPは時間がかかるがOODAは素早くまわる」というのは、自分勝手な論法です。

引用します。 『PDCAのような分析的、論理的知識を問題にするのではなく、直観的判断や現場での智慧を重視するのです。』

PDCAの開始に分析的、論理的知識は前提としてありません。 直感的判断や現場での智慧を重視してPlanすればいいだけです。 後から時間のできたときに分析的にCheckします。 Checkしないと、明後日の方向に暴走します。

2017年4月29日 初出

2020年4月21日 追記

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