日本人の無意識に住み着いている儒家思想

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要旨

儒家思想が、日本人の価値観にどのような影響を及ぼしているかという話を、webmasterの個人的な価値観で記します。

儒家思想とは?

儒家思想については、WikiPediaを参考にしたほうが正確で緻密な説明を読めます。 ここではWebmasterの理解を簡単に書いてみます。

始めた人

孔子

最初の教えに対するwebmasterの理解

仁、義、礼、智、信に分類される美徳を身につけようという自戒。 もともとは、「お互いに相手を思いやって先回り行動することで、余計な気を使わないようにしよう」という理想論。 後に忠、孝、悌が追加された。 日本では、宗教としての儒教全体ではなく道徳律として一部分が導入されて、仏教と両立してきた。 日本に限らず中国や韓国でも別々にガラパゴス進化しているらしい。

権威付けに利用された

孔子の訓話では、立場の異なる二人の人物が登場して対話します。 違う立場の間で思いやりを発揮する重要性を説くために、君主と家臣、親子、先輩後輩などが出てきます。 孔子の意図は上下関係を強調することではなく、対立する価値観の代表役を組み合わせたつもりではないでしょうか。

だれかがいつの間にか儒家思想をアレンジして、変更を加えた気がします。 変更点は以下です。

上記二つの変更で、権力者の権威付けと一方的な力関係を確立したのではないでしょうか。

権力者とは誰?

権力者として振る舞える立場は、時代と場面で都合よく変更されてきました。

江戸時代の権力者

武士にとっては上司であり、将軍が最高権力者です。 小作農にとっては、地主、庄屋が権力者でしょう。

明治時代から昭和初期の権力者

武士による支配が役人による支配に変わっただけですね。 政府の権威を借りた小物警察官が威張り散らすドラマを何度も見ました。

太平洋戦争終戦後 高度経済成長期の権力者

黒字経営の企業経営者(要するにシャチョーさん)が、一番偉いことになりました。 「自分が社長に出世できたのは誰よりも頑張ったからだ」という理屈で、権威を振りかざしました。

バブル経済期の権力者

金を持っていてバラまける人が、一番偉いことになりました。

バブル期以降の権力者

様々な立場の人物(金持ち、大企業の経営者、ベンチャー会社の経営者、偉そうな肩書をでっち上げた山師)が「俺こそ一番偉いんだ」と去勢を張っている戦国時代に突入しました。

我こそは権威

日本では、権威が一方的に特権を主張できるので、誰もが権威者になりたがります。 もともと孔子は、「権威を振りかざすには、それなりに部下への気配りが必要だ」と言っていたように記憶しています。 キリスト教+狩猟民族の文化圏では、「権利と責任は表裏一体だ」と教えていますし。

「偉い人は命令するだけ。失敗の責任は現場にとらせる。」という無責任な権力者を気取れるのは、儒家思想圏(主にアジアの3国)だけのような気がします。 欧米にもそのような人物がたまにはいますが、社会全体が無責任な権力者を盲目的に支持したりはしません。

高度成長期以降、一見すると「全ての人が十分に努力すれば権威になれる」ような宣伝が行われたために、殆どの人が権威になろうとしました。 タカラトミー社の人生ゲームで遊んでいるときは、誰よりも札束を集めて子供も作って仕事で成功するのが目標のように、本物の人生でも同じ様な成功を求めようとしたのではないでしょうか。 バブルが弾けて『社長に出世して左うちわ』が実現困難(社長になることも、社長になった人物が左うちわで過ごすことも)になったため、自己流の屁理屈で「我こそは権威」と見栄をきる人が増えたのかもしれません。

勘違い権威 2018年6月30日追記

日本で(外国でも同じかな?)権威が威張り腐る理由の一つは、ユング心理学で言うところの『自我の拡大』が起きているのかもしれません。 権威だけでなく、『意識高い系』とか、謝罪記者会見の記者席で居丈高発言をする記者なども同じでしょうね。

つづく

2017年12月2日 初出

2018年6月30日 追記


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